喜びと真心をもって
使徒言行録2章43~47節
主題聖句 「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」 使徒言行録2章47節b
ユダヤ人社会ではペンテコステを「五旬祭」あるいは「七週祭」と呼びました。小麦の初穂を捧げる収穫祭で、ユダヤの成人男性は神の御前に出ることが義務付けられました。使徒たちもユダヤ教徒ですから、エルサレム神殿に詣でていましたが、さて彼らはどんな気持ちでそこにいたのでしょうか。わずか
50日前にはホサナの歓声の中をイエス様と共にエルサレムに入城し、主の晩餐、ゲツセマネの祈り、十字架、復活、と激しい浮き沈みの日々を送ってきたのです。絶望、驚き、喜び、どれも今まで経験したことのないような大きさで彼らを襲ったことでしょう。
イエス様のご命令に従ってエルサレムにとどまり、聖霊を受けた時に、弟子たちは使徒に変えられたのだと思います。弟子であった時は、イエス様のそばにいても教えられるだけで理解も実行もできず、誰が一番偉いか、というようなことばかりを気にしていました。イエス様は弟子たちに「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と教えられました。(ヨハネ16:13)その通りに、聖霊が降った時、弟子たちは神様のご計画を知り、理解し、使徒に変えられ、恐れもためらいも捨てて、救い主イエス・キリストのことを語りだしました。
そうして教会が誕生しました。もっとも、この頃の教会は専用の建物もなく個人の家や神殿の一角に集まっていたようです。使徒の教えとは、それまでの律法ではなくイエス様の十字架の福音です。祈りと賛美が捧げられ、今の聖餐式の原型であるパンを裂くことが行われていました。イエス様がなさったような癒しの奇跡も行われたので、さらに多くの人が集まりました。
皆が一つになることの土台に、「喜び」と「真心をもって」がありました。聖書では愛すること、赦すこと、信じることは条件ではなく意志で行うことと教えられますが、ここに喜ぶことと真心をもって、も付け加えたいと思います。喜びと真心をもって一つにされ、教会が主の御体となりますように。
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