キリストがおられる
コロサイの信徒への手紙1章15~20節
主題聖句 『天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。」 コロサイの信徒への手紙1章16節
コロサイの教会へ入り込んだ異端の教えは「イエス・キリストは、神様が創造された最初の被造物に過ぎない」と、イエス様の神性を否定します。そのためコロサイの教会に伝えられた福音信仰は危機的な状態になっていると、エパフラスはパウロに伝えます。パウロは、改めて希望と感謝と確信を得るようにと、コロサイの信徒のために祈り、イエス・キリストの真実を伝えます。
15節「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。」神様はイエス様を、この世界に私たちと同じ人間として生まれさせてくださった。イエス様は人間としての苦難を経験され、神の癒しの御力によって人々を勇気づけ、罪人と共に居られた。そのお姿は全き神様であり、全き人間としてのお姿であったと、聖書は記します。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。(ヨハネ福音書1:1~2)」天地創造の時に、イエス様は既に神様と共に、全てに先立って居られたお方でした。「すべてのものが造られる」その中には人間の創造も含まれます。そこに私たちの生活もあります。
パウロは、「天にあるもの、見ることのできないもの」にも神様の御心を祈り求めます。私たちの信仰生活は世にあってイエス様を探し求めることです。
20節「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」この世の全てのものをまとめるのが十字架の罪の贖いと赦しである。ここに記さているのは神様の支配される世界の姿です。その中心はイエス様の十字架です。信じる者全てに救いの業として示された十字架の罪の贖いと赦しは、異端との闘いの中にあるコロサイの信徒への励ましになりました。
生活の中に居られる神の御姿がイエス様です。「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも」全てにイエス様を見ることができます。
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