わたしを思い出して

ルカによる福音書23章32~43節

澤田直子師

主題聖句 「そして、『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。』と言った。」 ルカによる福音書23章42節
受難週に入ります。ゴルゴタの丘で十字架に釘づけられながら、イエス様は「父よ、かれらをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈ります。何というお言葉でしょうか。わたしたちは、つまらないことに簡単に腹を立て、一度怒りを抱え込むと容易にそれを消すことができません。イエス様の祈りはわたしたちの気持ちがついていけない祈りです。
イエス様を救い主と信じない人々は、イエス様をののしります。「メシアなら自分を救ってみろ」この言葉は、人間の考えが浅いことをよく表しています。イエス様は十字架から降りることもご自分を十字架につけた人々を滅ぼすこともできますが、その力を選びません。神様の救いのご計画を成就するためなら、ののしりも嘲りもものともしないのです。
出エジプト14章で、モーセは葦の海を前にして民に「落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」と命じますが、そこから何百年何千年経っても、わたしたちの愚かさはあまり変わりません。わたしたちは困難に向かって弱さを選ぼうとし、「仕方ないのです、できないのです」と自分を正当化しようとします。十字架につけられた罪人の一人も、絶望の中でイエス様をののしりました。
もう一人は十字架の上で自分の罪を認め、主の憐れみにすがりました。その願いに向かってイエス様は「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってくださいます。何という思いやりの深いお言葉でしょう。誰であれ神様の御前に出るのは怖い事、まして罪を認め悔いているならなおさらでしょう。だから「わたしと一緒に」と言ってくださる。イエス様は、誰でもどこにでも、どんな時も、望む者と必ず一緒にいてくださるお方です。
最悪の状態の中にも光を差し込ませ、善を行う方に、全てをお委ねして、あなたがご覧になった通りの愚かで貧しい者ですが、どうぞ、わたしを思い出してください、共にいてください、と祈りましょう。
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