神の国は近づいた
ルカによる福音書19章37~44節
主題聖句 「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」 ルカによる福音書19章38節
2月14日「灰の水曜日」からレントに入りました。イエス様の十字架が誰の何のためだったかを考え尽くす40日を歩んで行きたいと思います。
イエス様がエルサレムに入城される場面は特にイエス様の「預言者」としてのお姿が強く表されています。旧約時代の預言者と同じように、イエス様もその言葉と行いをもって神のご計画を示されます。その一つが誰も乗ったことのない子ロバです。主の救いの御業が一回限りであり他の誰もなしえないことを表します。ゼカリヤ書9:9に預言されています。また「主がお入り用なのです」という言葉は、信仰者みなに向けて示された預言です。
オリーブ山からの下り坂は、エルサレム神殿の全貌とローマ軍の駐屯地が一望できたそうです。弟子たちはこの景色を見て心が高揚し、今こそ勝利の時と高らかに賛美をしたのでしょう。一方でファリサイ派はローマ軍の介入が起こって過ぎ越し祭りが中止になるような事態を避けようと、「お弟子たちを叱ってください」と言います。どちらも信仰から来るのもではなく、この世的な権威と安寧を求めての言葉と行いでした。
応えるイエス様のお言葉は、とても預言者的です。「石が叫びだす」の解釈として、紀元70年に実際にエルサレム神殿がローマによって破壊されることを予告して、廃墟となった跡地で、焼け落ちた石が真実を叫ぶという意味を読み取ることができます。この時のエルサレム神殿はヘロデ王が地位保全のために建てたもので、観光地の側面を持ち、この世の富と権威を見せつけていました。信仰の場、祈りの家とは言えませんでした。
弟子たちもファリサイ派も、決していい加減な信仰でここに立っているのではありませんが、自我の働きで世を選んでしまうのです。「神の国は近づいた」イエス様が公生涯を始められた時の第一声です。この思いを第一として悔い改めつつ、わたしたちは神殿に立ちましょう。
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