私は扉を叩いている
ヨハネの黙示録3章14~22節
主題聖句 『見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。』ヨハネの黙示録3章20節
ラオディキアの教会に宛てた手紙には、教会への称賛のお言葉は一切ありません。代わりにイエス様の厳しいお言葉が記されています。
ラオディキアは、軍事力、金融力、基盤産業、そして先進医療技術を兼ね備えた町でした。市民の心は人の業、知恵、富の豊かさを求め続ける誘惑に覆われてゆきます。故に神様を必要としない生活へと変わってしまいました。豊かさは、信仰者から神様を求める気持ちを締め出してしまい、ラオディキア教会は世の富を享受するのと引き換えに、信仰的には貧しい教会となってしまったのです。熱くもなく冷たくもない信仰、無関心へと変質していきました。
19節「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に務めよ。悔い改めよ。」それでも愛する者たちがそこに居るからこそ、イエス様はあきらめず、厳しい勧めのお言葉を与えてくださいます。
18節「そこであなたに勧める。火で精錬された金をわたしから買うがよい。」純金を作る時、幾度も不純物を取り除くように、信仰も混ざりものが含まれないように精錬されます。イエス様のお言葉は、信仰の確かさへと導く励ましのお言葉です。イエス様は求める者の必要を全て知っておられます。
私たちは、神様によって信仰に導かれ、洗礼を授けられました。しかし、救いがそれによって完成されたわけではありません。新生という意味では既に救われていますが、再臨のその日まで、この世で生きている限り、御言葉に信頼しながら、罪と戦っていくという使命が与えられています。
信仰に迷いを持っている方々に「見よ」と、イエス様は呼びかけてくださいます。あなたの信仰を覆っている一切の誘惑から「悔い改めよ」と呼びかけてくださいます。イエス様の呼かけに応答してまいりましょう。信頼してこの世を歩んでまいりましょう。
イエス様はあなたの傍らに来てくださり、閉ざされた心の扉を叩き、呼びかけてくださっています。扉が開くまで呼び続けてくださいます。
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