なすべきことは一つ

フィリピの信徒への手紙3章12~16節

澤田直子師

主題聖句 「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」 フィリピの信徒への手紙3章14節
 「信仰義認」という神様からの大きな恵みに対して、信仰者はどうすれば良いか、ということが主題になります。結論から言うと、何もできません。わたしたちのうちには、自分に対しても誰に対しても「義とする」権限はありません。それは神とイエス・キリストにのみある権限です。
 パウロはこのことを証だてるために、自分が学んできた知識を総動員して論理的に語ります。パウロの伝道圏は地中海を真ん中にしたギリシャ語圏でした。当時のほぼ世界中の、イエス様については何一つ知らない人々に、十字架と復活による神の救いを伝えるのですから、誰がどう聞いても納得がいく論理が必要でした。しかしパウロは自分の知識を表わしたいわけではなく、福音を宣べ伝えたいのです。コリント一9:16では「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」と告白しています。
 パウロは信仰生活をたびたび競技に例えます。この頃には古代オリンピックや都市ごとの競技会があり、そのに出場するために節制し鍛錬して備える選手は、民衆の憧れとなり、尊敬されました。どんなアスリートでも、一歩踏み出さなければ次の一歩は出せません。また、自分で自分のゴールを設定したら競技失格です。自分勝手なコースを走っても失格となります。パウロはこれを例にとって、信仰者がやるべきことは、まず目標(神の国)を定めること、それを決して見失わないこと、後ろを振り返ることなく、目標に向かって進むことだと勧めるのです。
 しかしパウロは「それを既に得たのではなく」と言います。パウロを励ましたのは、自分は得ていないが、キリストは自分を得ているという確信でした。全ての信仰者は発展途上です。神の国に入るその日まで、到達したところから次の一歩を踏み出すことが勧められます。なすべきことは一つです。
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