目を覚ましていなさい

ヨハネの黙示録3章1~6節

澤田 武師

主題聖句 「目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない」 ヨハネの黙示録3章2節
 サルディスの町は、切り立った絶壁に囲まれた高原に建設された難航不落の要塞都市でした。また、羊毛の染色技術の発明が利益を生み、町は豊かさで溢れました。紀元前6世紀には、世界屈指の都市の一つと呼ばれています。そのせいか外敵からの脅威には油断し、豊かさが住民のおごり高ぶりを生みました。結局、サルディスの町は二度外国に支配され、この手紙が書かれた時代には、目立たない価値の無い町となりました。栄華と衰退の歴史をもった町です。
 この町に信仰が伝わった詳細は分りませんが、一世紀には教会が生まれており、熱心に信仰を守る人々がいたようです。サルディスの教会には外部からの迫害もユダヤ人からの妨害も無かったと言われています。後代には大司教の座も置かれていました。この世の平安、平穏の中で「生きていた」教会でした。それは同時に、教会が住民気質の影響を受けて、信仰の世俗化が進んでいたということです。その結果、教会は誰からも関心を持たれない存在となりました。
 サルディスの教会には、聖霊によって結ばれる信仰の実は成りませんでした。それは「名ばかりの教会」であって、信仰は「死んでいる」とイエス様は言われます。しかし、叱責のお言葉の中にも、イエス様はサルディスの教会を愛しておられます。
 「目を覚ませ。」イエス様は再び「信仰に生きている教会」を立て上げるために、「死にかけている残りの者」を励まし続けることこそ、教会の業であり神様の前に完全な者として歩む者の姿であると告げます。
 私たちも目を覚まして信仰生活をおくりたいと思います。真剣に神様の恵みを求めることを生涯続けたい。イエス様と共に歩く。信仰を「どのように受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り抜き、悔い改めよ。」これが成長する信仰者の姿です。「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マルコ13:33)耳ある者は聞きましょう。再臨を信じ、待ち望み備えて歩む。生きている教会の姿です。
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