自分を無にして
フィリピの信徒への手紙2章1~11節
主題聖句 「すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」 フィリピの信徒への手紙2章11節
2章は、分かりやすい順序を考えて書かれています。1~2節はフィリピの教会が到達すべき最終目標です。スポーツなら「優勝」とか「オリンピック出場」みたいなものです。そのために個々がなすべきトレーニングの内容が3~5節です。ですから、ここだけを取り上げてもメッセージができるところです。しかし、わたしたちはここを読んでその通りだと思っても、果たしてそれをすぐに実行できるでしょうか。
それで、5節の後半から8節までは、「必ず目標を達成できる」と根拠を証します。目標は良いとして、個々の向上を目指して励むとして、本当にそれで良いのか、できるのか、という不安に応える証です。
このために、イエス様が「自分を無にして」くださいました。2節「心を合わせ、思いを一つに」するためには、ぜひとも「自分を無にする」ことが必要です。しかし、自分の小ささ貧しさをわかっているつもりでも、明け渡すことは難しい、わたしたちの自我は大きく強いのです。「わたし」という革袋には、今まで生きて来たなかでの様々なものが蓄えられていて、それを空にして神様からいただくものを満たせば良いのですが、そちらの方が良いとわかっていても、自分が貯めて来たものを、良くも悪くも手放したくないものです。そういう人間の姿を理解しその上で神様に明け渡すことを教えるために、イエス様は人間の姿を取って世に来てくださいました。
ここには大きなパラドクスがあります。神でなければ人を救えない。人は自分の力で自分を救うことができません。でも神様のご計画は、神の力を捨てて人となり、惨めな貧しい生涯をおくったイエス様の十字架によって、救いを成就するということでした。イエス様はそのご計画を全く信頼し、従順に務めを果たされました。その結果、「イエス・キリストは主である」とすべての舌が宣べる希望を持てることになりました。イエス様は、わたしたちの救いのためにご自分を無にしてくださいました。どうお応えしましょう?
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