初めに立ち戻れ
ヨハネの黙示録2章1~7節
主題聖句 「だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」 ヨハネの黙示録2章5節a
イエス様は「あなたの見ていることを巻物に書き、七つの教会へ送れ。今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」とヨハネに命じます。
偶像礼拝の中心地に建てられたエフェソの教会へは、「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。」と、異端への対応が完璧になされたことをイエス様は褒められました。しかし、言うべきことがあると手紙は続きます。
イエス様は「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」と、神様の愛、見返りを求めず、自己犠牲の愛、ἀγάπηの愛を見失っていると指摘します。既にエフェソの教会には神様の愛が無いのです。
ヨハネは福音書の中で、イエス様のご命令として、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」と、兄弟愛に生きることを記しています。
ἀγάπηの愛はキリストへの愛でもあります。また、同胞への愛でもあります。この二つの愛は一体であって、これを分けて行うことはできません。
エフェソ宣教、その初めには熱心さや、喜び、共に集う者への兄弟愛がありました。しかし今、愛は変質して同胞の信仰を裁く言葉となっています。
「思い出し、初めのころの行いに立ち戻れ。」愛は、悔い改めから再び起こされます。それは神様に委ねる信仰生活へと変えられ、証として表されます。
「耳ある者は聞くがよい」エフェソの教会には、「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」との言葉がおくられます。
命の木の実を食べることは、キリストの国で正義の祝福を受けることです。キリストの支配が確立された時、主に忠実に生きて勝利した者は、すべての喜びに預かります。人は人から聞く愛の言葉によって、心が豊かにされます。御言葉を心で聞き、愛の言葉を実践する教会として歩み続けましょう。
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