苦しみも恵み
フィリピの信徒への手紙1章21~30節
主題聖句 「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」 フィリピの信徒への手紙1章21節
元律法学者のパウロにとって、「キリスト」とは人を指し示す言葉というよりも、宗教的な信仰的な意味を持っていたと思います。そしてパウロはおそらく人間としてのイエス様に会ったことはなかったでしょう。ですから、ユダヤ人にとって希望の言葉である「キリスト」がイエスであった、という意味合いで「キリスト・イエス」と呼び、自分の生涯の最初から最後までが、キリストの働きの一部として捧げられることを望んでいます。それが「生きるとはキリスト」の意味でしょう。
それでは「死ぬことは利益なのです」この言葉をどうとらえれば良いでしょうか。わたしたちは、年齢性別にかかわらず、自分も他者も「死ぬことは利益」とは考えません。パウロは過去に天に上げられる、いわゆる臨死体験のような経験をしています。(コリント二 12章参照)この時、パウロが感動したのは、そこでは神様の御旨がはっきりと示された、理解できたということでした。(コリント一 13章)ですからパウロにとっては、死はキリストのために働きを捧げることがもっと容易になり、もっと喜びが増す、そのために扉を開けて階段に踏み出すようなものだったのだろうと思います。
病後、多くの方が「無理をしないで」と気遣ってくださいますが、よく考えると、ただの人間が福音伝道のために召されること自体が大いなる無理です。コリント一 1:21「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」から、教会は伝道者を一人にしてはなりません。パウロはフィリピの信徒に「共に戦っている」と書き送りました。そして「キリストのために苦しむことも恵み」と言いました。クリスチャンでなければ共に苦しむことはなかったかもしれないが、それでも、キリストを知らないよりも知って共に苦しむ方がずっと良いのです。祈りは聞かれます。主は共におられます。恵みとして与えられる苦しみを避けることなく、主を信じて歩んで行きましょう。
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