いかに幸いなことか

詩編84編

澤田直子師

主題聖句 『あなたの庭で過ごす一日は千日にもまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。』 詩編84編11
 詩編84編は第一次捕囚の時(紀元前597年)の頃に書かれたと考えられています。エルサレムから900キロ離れたバビロンで、エルサレム神殿を思い浮かべ、懐かしい故郷の音楽にのせて賛美した詩編です。
 神殿の「主の庭」とは、誰でも入れる神殿の玄関広場です。そこに行くまでに自分の目に映っていた様々な景色をありありと思い出して、それがどんなに自分を慰め力づけてくれていたかを思い出しているのです。
 どんなに慕っても、もうエルサレム神殿に詣でることはできない今、その風景を心に思い浮かべることが、信仰者の喜びであり励ましとなっています。
 人間の常として、できている時にはその幸いがわからない。失って初めて、それがどんなに幸せで素晴らしいことだったかを痛切に知る、というところがあります。コロナ対策の中で、わたしたちも、平凡な日常がいかに有難く恵まれたものだったかを知ったと思います。
 84編には「いかに幸いなことでしょう」という言葉が何度かでてきます。今はその幸いを失った者が、幸いを受けていた自分を懐かしみ、その記憶に養われているから勇気を出し、心に広い道を見出すことができるのです。その道を行く人は、どんな苦難や試練の中でも神の御言葉を泉として潤されます。
 神様に愛される時が備えられ、愛する場所で愛する仲間と共に礼拝を献げる恵みを知っているとは、いかに幸いなことでしょうか。世の富と栄光を握って千日を過ごすよりも、神の家の門口に立つ一日を、わたしたちも選びました。いずれ本当にそこに立つ日が来たら、たくさんの懐かしいお顔を見て喜び合うことでしょう。
 太陽であり盾であるイエス様が与えられ、完全な道が備えられ、住むところが用意されています。神の家の門を目指して歩みましょう。
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