恵みのあふれる家

詩編65編

澤田直子師

主題聖句 『恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって わたしたちが満ち足りますように。』  詩編65編5節b
 詩編65編は、ユダヤの三大祭りの一つ「仮庵祭」で朗誦されたと言われます。豊かな収穫は神に祝福されている証でした。3つの祈りが記されます。2~5節は、神の憐れみによって罪赦される喜びです。6~9節は神の偉大さを賛美する祈りです。10~14節は、神の祝福の豊かさへの感謝です。
 この詩に描かれる豊かさは、神の家・神の庭のものであり、わたしたちの所有物ではありません。信仰者は、神と子羊の玉座から流れ出る豊かな水を受けて、それがどこから来るのかを知っていますが、その庭に行くことはできません。時が満ちていないからです。
 この世で苦難や試練に遭う時、わたしたちの自己中心の心は、神様なぜですか、と問いたくなります。神様が愛の神なら、なぜわたしには、わたしの家には、わたしの教会には、恵みが溢れていないのか。おかしいではないか、何が悪いのか、誰のせいなのか、と言いたくなる。
 聖書には、神は高ぶる者を引き下げ、へりくだる者を高く上げる、と繰り返し書かれています。これは真実です。自分の力が及ばない苦難の中で、なぜですか、と問いながらも、自分の内側に「なぜ」の答えがあるのかもしれない、と恐れをいだく時、たとえそうであっても、神は砕かれた魂を受け入れてくださるお方、罪びとを招き食卓を共にしてくださるお方です。
 わたしたちは、その約束を知っています。そこから溢れて流れてくる清らかな水が、わたしたちに届き、渇きを癒して、神の家がどんなに豊かで明るいところかを教えてくれます。わたしたち、という、小さく欠けのある収穫物を、神様は「聖なる生ける捧げもの」として喜んで受けてくださいます。
 コヘレトの言葉3:11「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与える。」この地上でも神の恵みを見る目が養われ、喜び感謝する心が開かれますように。
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