約束は真実である
ヘブライ人への手紙11章1~12節
主題聖句 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」 ヘブライ人への手紙11章1節
ヘブライ書11章は、旧約聖書の人物とその生き方を次々に示して、信仰者の姿を思い起こさせます。11章の最初に出てくる「信仰」という言葉は、世で使われる意味と教会で使われる意味とはかなり違います。有名な神社やお寺で神妙に手を合わせることを「信仰」とは言いません。クリスチャンにとって、祈ること、賛美することは、誰に向ってするのかがとても重要なのです。祈りの初めは必ず、唯一のまことの神様への呼びかけです。
1節はわかるようでわからない御言葉です。「望んでいる事柄」とは何でしょうか?わたしたちは、神様に祈る時、もちろん自分の願いを聞き入れてほしいと思いますけれども、自分の力の及ばない事柄に関しては、どこかで覚悟を決めて「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るのではないでしょうか。そこに確たる信仰があって、神に信頼するからこそ、先が見えない時も試練の時も委ねて祈ることができます。それが「望んでいる事柄を確信」するということです。
「見えない事実を確認する」これは矛盾をはらんだ言葉です。これを説明するために、著者は創世記の天地創造を取り上げます。「光あれ」から始めて、神様はその力ある言葉で世界を創造されました。ここで最も心を留めたいのは、創世記1:31「見よ、それは極めて良かった」という御言葉です。神様が完璧に造られた、これ以上ないほど素晴らしい世界が一度はあったのです。
イエス様は、ルカ17章で「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と教えられました。神の国はあり、わたしたちは十字架の贖いによって神の国の住人となる約束が既になされている。これは事実です。約束とは、まだ現実にならない時になされるものです。そして、約束が守られるという確信は、約束をした相手への信頼にかかっています。神様の約束は真実です。心を安らかに信頼しきって、世を歩んでいきましょう。
📢音声