あなたをいやす主
出エジプト記15章22~27節
主題聖句 「わたしはあなたをいやす主である。」 出エジプト記15章26節c
出エジプト記では前半の20章までが、ヘブライ人がエジプトを出て行く物語で、残りは律法の規定が記されています。15章は、葦の海を渡る奇跡の三日後に、水が苦くて飲めないと言って民がモーセを責める場面です。
モーセが神に祈って示された通りに、一本の木を投げ込むと、水は飲むに適したものに変えられました。民は、わずか三日前にはエジプトの軍隊から逃れて海を渡るという奇跡を経験しているのに、モーセを責め、モーセに助けを求めました。これが、人間の弱さ・愚かさです。見えないものを信じることができず、見えるものに頼りたくなるのです。
一方モーセは、民に責められて、神に祈るしかありません。人は誰もモーセを助けてくれず、責めるばかりです。この時から荒れ野の40年をずっと、不足がある度、民はモーセに詰め寄り、モーセは神に祈り、神は憐れんで助けてくださる、というパターンが繰り返されます。
神はモーセに「主の声に必ず聞き従い…」(26節)という掟と法を与え、そうすればエジプトに下した病を下さない、と約束されました。「病」は「災い」とも訳せる言葉ですから、エジプトに神が下した10の災いを示していると考えられます。特に、初子の災い、ファラオの子も奴隷の子も、命を失った過越しの夜の災いです。信仰者も、罪の奴隷から解放されるために初子を失いました。しかし失ったのは、わたしたちではなく神様でした。独り子イエス様の命が全き犠牲、神の子羊として捧げられたのです。
そして、神は「わたしはあなたをいやす」と言われます。「癒し」という言葉から、わたしたちは、病や痛みが取り去られて元の健やかな体と心に戻る姿を思い浮かべるでしょう。それは素晴らしいことですけれども、命あるものは全て、いずれ死を迎えるのですから、神の癒しは今の体や心のことよりも、もっと深いところを指し示していると思います。不完全で傷の多い、とうてい捧げ物にはなり得ないわたしを、神様はその独り子の命と引き換えでまで救ってくださいました。ここに、真の「神癒」があります。
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