神の右に座したまえり
ヘブライ人への手紙8章1~6節
主題聖句 「しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。」ヘブライ人への手紙8章6節
新約聖書とは、新しい契約の書物という意味ですが、ヘブライ人への手紙を読んだ人々が、「福音」という全く新しい契約をしっかり理解していたとは思えません。ヘブライ人にとっては、ダビデの王国の再来、あるいは再度の出エジプトというような、被支配国から解放されて「神の選びの民」であると証明することが最終的な目的だったのでしょう。
しかし神様のご計画は、イエス様のご降誕を境にして、全世界の人々の救いという、スケールの桁が違う新しい目的に向かっていました。従ってその方法論も、働き人も、使命の内容も変わってきます。
十字架と復活によって救いの計画が成就され、全てが変わりました。律法は福音に、裁きは愛と赦しに置き換えられます。福音伝道の使命を与えられた働き人の選ばれ方も変わり、その働き方も変わりました。今やイエス・キリストが、ただ一度の完全な捧げ物によって罪の贖いを成し遂げたまことの大祭司です。
イエス・キリストが今までの大祭司と最も違うところはその働く場所です。
使徒信条には「死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天に昇り、全能の父の右に座したまへり」とあります。イエス様はわたしたちと同じ有限の命をもって世に来てくださり、十字架の死を味わわれ、冷たい墓に横たえられ、死んだ者が下ってゆく陰府にまで下りて行かれました。そして、よみがえりのお姿を弟子たちに現した後、天に帰って行かれました。この世の一番下から、一番上まで、全てを通られたお方です。このお方の執り成しによって、わたしたちは、被造物でありながら、天の父のもとに帰って行くことができるのです。このお方の御名によって「アッバ、父よ」と祈ることができるのです。何という恵みでしょうか。わたしたちは、世にある時間も、能力にも限界のある、有限の祭司です。しかしわたしたちを率いる大祭司は神の右に座したまいてわたしたちを招いてくださいます。仰ぎ見ましょう!
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