大祭司キリスト

ヘブライ人への手紙7章1~19節

澤田 武師

主題聖句 「この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。」 ヘブライ人への手紙7章16節
 律法の権威に立つ者たちは「なぜ、律法によって立てられた祭司以外に、別の祭司が必要なのか」と問います。
 ヘブライ人への手紙の作者は、律法は「不完全」であり、既に「完全」な大祭司キリストという「希望」によって「廃棄」されたと記しています。7章から10章には、この手紙の中心思想が書かれています。「全ての人を神様に近づける」、それは「永遠の大祭司、キリストを信じることによって成就する。」作者は、律法の権威にしがみつく者たちに、正面からイエス様を証します。
 祭司は神様と人との橋渡しの役割を担います。大祭司は年に一度、すべてのものの罪の赦しのために、至聖所の中、神様の前に立たねばなりません。しかし、律法によって立てられた地上の大祭司には、人としての限界があります。大祭司の役割を果たすためには、まず自らの罪の贖いのために、毎年動物の命を犠牲として捧げなければなりませんでした。
 メルキゼデクは「父もなく、母もなく、生涯の初めもなく、命の終わりもない」人物です。その名の「義の王 平和の王」とは、メシアの称号とも一致します。彼はメシア、イエス・キリストの姿を現す者として永遠の祭司なのです。
 信仰は絶えず誘惑に遭います。それはイエス様を見失ってしまうことです。福音書は、エマオ途上で、朝の湖畔で、夜明け前の湖の上で、失意、不信、困難からイエス様に「気づかなかった」弟子たちを記しています。しかし、イエス様は「わたしはここに居る」と、再び声をかけてくださいました。今、私たちにも声をかけてくださっています。
 「恐れなく神様に近づけ」と、信仰を持つことをいつも力づけてくださいます。大祭司キリストは、御自分を犠牲とされて、神様との間に道を開いてくださいました。それが十字架です。私たちは十字架の救いを証する者として歩みましょう。唯一絶対の大祭司、神様と私たちの間に道を備えてくださった、イエス様を伝えて行きましょう。私たち信仰者は、イエス様の命に生かされる者として、毅然と歩むことが求められます。
📢音声