成熟を目指して
ヘブライ人への手紙5章11~6章3節
主題 「だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。」 ヘブライ人への手紙6章1-2節
著者は、手紙の主題の一つであります「大祭司キリスト」からいったん離れて、手紙を読む者たちの霊的な心の状態へと目を向けます。
神学者カール・バルトは人間の犯す罪を3つに分けて、その一つに「怠惰」を挙げています。「怠惰」とは、神様の愛に鈍感になる、応答しない、怠けているということです。
著者は「話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。」と、読者たちに、あなたがたはみ言葉に聞くことに怠惰な信仰者であると厳しく糾弾します。信仰は絶えずみ言葉を聞くことです。み言葉を聞くことを怠けてしまっては信仰の成長はありません。
著者は、信仰を「固い食物」に例えます。誰でも最初は「乳」を飲んで育ちますが、やがて歯が生えてかみ砕くことができるようになり、「固い食物」を飲み込むことができるようになります。一人前の信仰者となるためには、信仰者として経験を積み、神様からの訓練(固い食物)に養われ、より確かな信仰に生きる者となるように成長することが求められます。
パウロはエフェソの信徒への手紙の中で「あなたがたが…、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」と、キリストに触れなければ分からないと示し、体験して初めて分かる信仰の豊かさを教えます。イエス様も、例えを用いて語られた後に「聞く耳のある者は聞きなさい」と、皆に言われました。私たちはみ言葉をどのように聞いてきたのでしょうか。今、自分の心には何が残っているでしょうか。固いが確かな食物をかみ砕いて消化し、自分の栄養としてきたでしょうか。イエス・キリストを求め続ける時、私たちは信仰の成熟に向って前進しています。心の底から新たにされて、キリストに似た者に造り変えていただけるよう、すべてを明け渡して神様の言葉を聴きたいと願います。神様は私たちの耳を開き、歩みを導いてくださいます。
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