私の弱さの中に
ヘブライ人への手紙5章1~10節
主題聖句 「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。」 ヘブライ人への手紙5章2節
ヘブライ人への手紙のキーワードの一つが、「大祭司キリスト」です。イエス様こそが真に唯一の「大祭司」であるということを知らしめるために、律法に定められた、人が担う「大祭司」と、神様のご計画によって召された「大祭司キリスト」との違いを記しています。
人が担う「大祭司」は「人間の中から選ばれた者。」「罪のための供え物やいけにえを献げる働きを担う者。」「人々の罪を救うために神様の前に人々を代表する者。」「神様によって任命された者。」であると記されています。
大祭司の最も重要な働きは、年に一度すべての民の罪の贖いのために、聖所で動物を捧げる儀式でした。しかし「大祭司は自分自身も弱さを身にまとっている」ので、最初に自分自身の罪の贖いために動物の犠牲を献げねばなりませんでした。大祭司も罪を犯す、有限で弱い者として、認識されていたのです。
そこを踏まえて、大祭司には「無知な人、迷いの中にある」ために神様から離れ罪を犯してしまう弱い者たちが、罪から離れ、神に立ち帰るために、忍耐を持って神様の前に導く「思いやり」が求められています。
神様に召された「大祭司キリスト」の地上でのご生涯は、「思いやり」の歩みそのものでした。イエス様は何の苦しみもなく、何の問題もなく、たやすく救い主の働きをしたわけではありません。人間の弱さを持って叫び、涙を流されて、完全なる従順を学ばれました。イエス様は、ただ一度自らが十字架に掛けられて、すべての罪人の贖いと救いの御業を示されました。「御心に適うことが行われますように」。イエス様の祈りは聞き入れられました。
受難節の時、改めて私たちは弱い存在であることを思います。罪を犯し続けてしまう者です。その弱さの中に、イエス様は今日も明日も、共に居られることにを感謝いたしましょう。イエス様の御名が崇められますようにと祈りましょう。神様の救いを私たちの人生の中心において、そこから離れない信仰生活を歩み続けられますようにと、祈りましょう。
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