光の中を歩む
ヨハネの手紙一1章5~10節
主題聖句 「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」 ヨハネの手紙一1章7節
聖書は、神様は「聖なる方」であると記しています。「聖」とは、私たちとは全く異なるお方、区別された方であられる、神様の絶対性、超越性を表す言葉です。そして神様は私たちにも「聖なる者」となることを求めておられます。
ホーリネス信仰はその名前が示すように、「聖化」を特に重んじる信仰です。実践的であり、個人個人の生活の場において、神様の「聖」を求める信仰と言えます。「聖化」は、「主と同じ姿に創り変えられて行く」とうことです。
私たちはイエス様の十字架が私の罪の贖いと信じ、主の復活が永遠の命の存在を証しすると感謝して、新しく生かされる「新生」の喜びを知りました。
しかし、現実には様々な誘惑、躓きが信仰者を襲います。嘆き、呟き、ため息をつき、怒りに翻弄(ほんろう)されてしまう。「聖なる者」とは、ほど遠い日常生活を改めて知らされます。昨日より今日、そして明日、より聖なる者になろうと努力しますが、一方では罪人として存在し続ける自分の姿に気づかされます。そのたびに「これではだめだ」と、自分の不甲斐なさを嘆きます。それでも良いと思います。
「聖化」は罪人にこそ与えられた恵みです。罪人の私たちを神様は選び、救いを与えて、信仰生活に導いてくださいました。その中で私たちはなおも残る罪の闇に苦しみます。それでも見捨てられることなく主の御手に生かされて行く。ここに、何でもない日常の歩みにも感謝が生まれます。
「聖化」は、神様が私たち罪人を、正しい方向に導くために備えてくださった恵みです。弱く惑わされる者が、神様の恵みによってなお生かされている。その喜びを知った者は、自分の人生を通して神様に近づきたいと願う。神様に似た者となるように、生涯をかけて求めて行く恵みです。「神は光であり、神には闇が全くない」聖化は私たちの心にある罪の性質を、イエス様の十字架の光を通して見ることから始まります。感謝してお委ねし、求めましょう。
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