目を覚まして祈れ

エフェソの信徒への手紙6章18~20節

澤田直子師

主題聖句 「どのような時にも“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」 エフェソ6章18節

 パウロは信仰者にも神の武具が支給されていると考えたのですが、どのような良い武具も、身に着ける者が使い方を知らなければ役には立ちません。特に「真理の帯」や「正義の胸当て」は、誰の真理か、誰の正義か、よくよく気を付けないと、容易に自分の真理と正義にすり替えられてしまいます。
 イエス様は公生涯に入る前にサタンの誘惑を受けました。イエス様は3度の誘惑を聖書の御言葉で退けます。サタンの考えと神様のご計画との違いをはっきりさせ、ご自分はどちらを選ぶかを宣言したのです。信仰者の勝利は、相手を滅ぼす事ではなく、何が正しいか、何を選ぶかを見分けることにあります。
 パウロがいかに優れた伝道者であったとしても、人間である以上、その働きには必ず終わりがあります。パウロ一人が華々しく勝利しても何にもならない。パウロは教会に起こる問題を知り尽くしていました。ですからパウロから手紙が来なくなっても、エフェソの教会が神様の御旨から離れないように、そのために、自分の言葉がまっすぐに届くように祈ってほしいと言うのです。
 誰の祈りでも、祈りには力があります。私たちが「神様」と呼びかける時、心は、魂は、目を覚ましているでしょうか。たとえ話のように、思わぬ時に主人が帰ってきて、怠惰を見つけられる僕のようになってはいないか。思いを巡らせたいところです。
 20節、パウロは「語るべきことを大胆に語れるように」祈ってほしいと頼みますが、パウロが福音を大胆に語れないなどということが一度でもあったでしょうか。これは明らかに、祈ることを通して、エフェソの教会が励まされ力を与えられることを期待しているのです。
 祈りには力があります。わたしたちも、どのような時にも、霊に助けられながら、目を覚まして、祈り手として、遣わされましょう。
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