聖き御名を聞く

フィリピの信徒への手紙2章1~11節

澤田 武師

主題聖句 「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」 フィリピの信徒への手紙2章8節
 「へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい他人…注意を払いなさい。」と、パウロは兄弟姉妹が互いに愛し合うことを勧めています。そして、その思いを阻んでいるのが「自分の利益を求め、己の姿を大きく見せる」利己心であり虚栄心であるとも記しています。私たちにとって「へりくだる」ことを、率直に受入れ、続けてゆくことはとても難しい生き方です。
 クリスマスは、神様がこの世に「へりくだられた」ことから始まります。ヨセフは自分の判断を捨てて神様のご意思を受け入れ、御心に一切を託して、マリアを迎え入れます。クリスマスを受け入れます。ヨセフは神様の前に「へりくだった」のです。
 人類は歴史の中で、神と名の付くものをたくさん作ってきました。拝む対象は、天体・自然現象、強い獣・先祖等、あらゆるものを神とまつり上げました。
 「神の身分に固執せず、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた。」唯一の神様は、これほどまでに、この世の低きに降ってこられました。イエス様は全き人として、全き神として、被造物と共にこの世の困難を歩んでくださいます。パウロはそれを「へりくだり」と記します。
 そして「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」と、イエス様は十字架まで「へりくだられた」のです。
 私たちは信仰を告白します。教団信仰告白では、「十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖いとなりたまえり」、「十字架に付けられ、三日目によみがえり」と十字架の贖いと復活のイエス様を告白します。
 天使はヨセフにそして、マリアに「この子をイエスと名付けなさい」と告げました。その時から、「イエス・キリスト」聖なる御名は私たちに与えられました。私たちはイエス・キリストの御名によって祈ることが許されました。
 イエス・キリストの御名を呼ぶことを妨げるもの一切を捨て去りましょう。イエス様が歩まれた道を、その足跡をたどる者として歩んで参りましょう。
📢音声