主を待ち望む

テモテへの手紙二4章1~8節

澤田 武師

主題聖句 「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」 テモテへの手紙二4章8節
 キリスト教の「福音」は一つですが、福音の豊かさの故に、その何処を強調するかによって、プロテスタント教会は多くの教派を生み出して来ました。その中の、ホーリネス信仰、その教理の特色が「四重の福音」です。新生、聖化、神癒、再臨、特に「再臨」は、イエス様が再び来られる約束の時を待ち望む信仰です。それは「日本基督教団信仰告白」の中にも「主の再び来たりたもうを待ち望む。」と、教団に所属する教会の告白として記されています。
 今、世を去る時が近づいたことを悟ったパウロは、テモテに「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」と勧めます。世はイエス様のお言葉を聞かない時が来る、それでも「福音宣教者としての自分の務めを果たしなさい。」と、改めて伝えます。それはいつの時代の伝道者にとっても、変わることの無い、励ましの言葉ともなっています。
 パウロは競技の勝者に「栄冠」が与えられるように、自分の伝道生涯は「戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおして来た。」と振り返ります。イエス様を伝える者と変えられ、従い続けて来られた恵みを証しします。
 「義の栄冠」が、唯一の審判者イエス様から与えられる「かの日」、「再臨」が来ることをパウロは楽しみに待っています。
 「再臨」は、まだ誰も体験したことがありません。だから、今は十分な理解はできませんが、その日「再臨を待ち望む全ての人」には「義の栄冠」が授けられます。クリスチャンは、この地上の歩みだけでなく、永遠の命があるとことを信じています。「再臨」はイエス様が約束された、私たちと神様との永遠の交わりの回復の時を表しています。パウロが今は「信仰を守り抜きました」と、その生涯を証ししたのと同じく、「再臨」の時、イエス様の前で、私たちの生涯も「信仰に生き抜いた」と、証しするために、今日も決断をもって、信仰に生かされ続けましょう。
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