さあ、来て、朝の食事をしなさい

ヨハネによる福音書21章1~14節

澤田 武師

主題聖句 「弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか。』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。」 ヨハネによる福音書21章12節b
ヨハネによる福音書には、イエス様が弟子たちの前にお姿を現されたのは、この朝で三回目であったと記しています。弟子たちには、何も獲れない、生活の糧を得ることの出来ない失望の朝となりました。そこに「舟の右側に網を打ちなさい。」弟子たちには声の主は分かりませんが、信じて従った時、失望は神様の豊かな祝福へと変わりました。イエス様のお言葉「見ないのに信じる人は、幸いである。」ここにお言葉を信じた弟子たちが居ます。
ヨハネは、最初に声の主がイエス様であると分かりました。そして「主だ」と叫びました。ペトロはその声を聞いて、急いで湖に飛び込み、他の弟子たちは、大漁の網を引いて、舟と一緒に岸へと向かいます。岸に向かう方法は異なりますが、弟子たちはイエス様を目指して、それぞれが進んで行きます。彼らの姿はそのまま、後に使徒として用いられた姿に見えます。
ヨハネは福音書、手紙、黙示録を記してイエス様を「主だ」と証し続けました。ペトロは、ローマまで伝道に行って殉教し、後に初代のローマ教皇とされました。他の弟子たちも、イエス様の豊かな福音を携えて、それぞれの遣わされた場に出て行きました。
今世界では、新型コロナウイルス感染防止のために人と人の間に「2メートル」の距離を置くことが勧められています。離れることが勧められています。この様な状況の朝にもイエス様は、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と、変わらず私たちを招いてくださっています。イエス様のお声を聞きましょう。神の平安、計り知れない豊かさを与えるために、イエス様は今日も、私たちを招いてくださいます。
「さあ、来て、朝の食事をしなさい」イエス様は近づかれる者を拒みません。全ての者の不足を、豊かな祝福に、命の糧に変えてくださいます。この世の不足に、イエス様は備えてくださいます。イエス様を知っているということは、この世の不足を知らないということです。
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