復活-見て、信じた

ヨハネによる福音書20章1~10節

澤田 武師

主題聖句 「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」 ヨハネによる福音書20章8節
 「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ12:32)ヨハネはイエス様が復活された朝、復活の証人として呼び集められた者たちを記しています。
 週の初めの日、まだ日が昇る前の薄暗い中に、マグダラのマリアは戸惑いの光景を見ます。墓の入り口を塞いであった石が動いている。マリアは、イエス様を尚も辱めようとする者たちが墓を開けて、既にイエス様は持ち去られてしまったと思い込みました。
 彼女は、二人の弟子たちの元に急ぎ行って、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と、伝えます。彼女の言葉は、人間の理解の限界を現しています。  
 墓が開いている、それがマリアには、イエス様が復活された証しであるとは分かりませんでした。イエス様は、既に墓の中には居られません。神様が復活させてくださったのです。「わたしたちには分かりません。」マリアの言葉は真理を現わしています。神様の御業を、私たちは全て理解することは出来ません。
 二人の弟子たちは、マグダラのマリアの言葉を、確かめるために墓へと走って行きます。弟子たちもイエス様の復活の証人として、再びイエス様の元へと引き寄せられた者たちです。
 ヨハネも、ペトロも墓の中に亜麻布が、整然と「置いてある」、「墓の中が空になっている」ことを見ます。ヨハネ自身の証しとして、空の墓、残された亜麻布は、イエス様が復活された証しとして「見て、信じた」と記しています。  
 では私たちは何を見て、何を信じたのか。イエス様の復活を知った故に、豊かな人生へと変えられた方々が、大勢いらしゃいます。私たちは、イエス様が復活されたことを、感謝し喜ぶ者として、イエス様に引き寄せられた者です。私たちは、もう一歩イエス様に近づこうではありませんが。しっかりとイエス様を見上げ、もう一度「見て、信じた。」と告白する者となりましょう。
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