そこにイエスを納めた

ヨハネによる福音書19章38~42節

澤田 武師

主題聖句 「その日は、ユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」 ヨハネによる福音書19章42節
 「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ12:32)イエス様の十字架予告です。既に弟子たちは近くにはいませんでした。そこに「アリマタヤのヨセフ」と「ニコデモ」が現れたことが、イエス様のお言葉が成就されたことを意味しています。彼らは、イエス様を埋葬するために用いられ、イエス様の死を証詞するために備えられた者たちでした。
 「アリマタヤのヨセフ」は、イエス様の弟子であることを隠していました。「ニコデモ」は、ファリサイ派の議員でありながら、夜分、こっそりとイエス様を訪ねたことがあります。恐れのため、保身のため、彼らはイエス様への信仰を今まで言い表すことができませんでした。「アリマタヤのヨセフ」はピラトに、イエス様の亡骸を取り降ろしたいと願いでます。すべての後始末に関わらずに済むと考えたピラトは、彼らに許可を与えます。
 この時にはまだ誰にも分かりませんでしたが、彼らの行動は、新しい時代、福音を開くカギとなりました。彼らはイエス様の死を受け入れました。彼らが葬りのために備えた新しい墓、亜麻布は、イエス様が復活された時、空の墓となり、不要の亜麻布となって、主の復活を証ししました。
 ヨハネは、近くに墓があったので「そこにイエスを納めた」との言葉でイエス様の受難の描写を終えています。それは全ての終わりを意味しています。人間が理解できるのはここまでです。
 私たちには、イエス様がどのように復活されたのかは決して分からないと思います。それは神様の領域です。私たちが唯一証しできるのは、イエス様をお納めした墓が空であったことです。復活はただ信じるだけです。イエス様を納めた墓から復活は起こりました。私たちはただそれを信じます。死をも打ち破ってイエス様は復活してくださったのです。
 復活のイエス様にお会いしましょう。私たちの受難週、私たちもイエス様の死と復活を証詞する者として、歩んでまいりましょう。
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