人の権限、神の権限
ヨハネによる福音書18章39節~19章15節
主題聖句「イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。」 ヨハネによる福音書19章11節より
ピラトは葛藤します。大国ローマから派遣された総督として、ローマは政治も法律も成熟していることをユダヤ人に思い知らせたい。罪のない者を死刑にはしたくない。その一方でユダヤ人はイエス様を死なせることしか考えていません。イエス様をはさんで、ピラトとユダヤ人の勝負になっています。
誰が見ても、イエス様の肉体の命はピラトの手中にあります。それなのにピラトは一体何を恐れたのでしょう。恐れのあまり、ピラトは自分の権限を見せようとします。「権限」とは、ある法律や国家の中で、ある人が行使できる権力の範囲を示す言葉です。人間は、自分の権限を見せつけ、声高に主張します。ピラトに権限があるように、イエス様にも神から与えられた権限があります。イエス様の権限にも限界があります。救いを受け入れない者を救うことはできません。
神の権限は、愛し、赦す権限です。自己を主張せず人の言葉を聞きます。イエス様は、癒しを求めて来る人々に「どうなりたいか」とお聞きになり、癒された後には「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。
イエス様はご自分の権限が誰から何のために与えられたかをよくよくご存じでした。そして、それを正しく使うために、その時を静かに待っておられます。
ユダヤ人は、イエス様を憎んで死に追いやろうとしています。同じ時に、神様は、人間に対する深い愛のゆえに、イエス様を死に向かわせようとしておられます。ピラトは、イエス様に茨の冠をかぶせ、紫の衣を着せて「王」と呼び、侮辱しました。神様は、何百年も前に預言者を通してイエス様を「王の王」と指し示されました。ここにいる全てのものが、イエス様の真理を証明しているのです。神の御業の不思議を思います。
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