命のみ言葉
ヨハネによる福音書12章44~50節
主題聖句 『わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。』 ヨハネによる福音書12章48節
ヨハネによる福音書には、過越しの祭りの雑踏の中で、一人「叫ばれる」イエス様のお姿が記されています。全ての福音書は、イエス様の公生涯の始まりについて、イザヤ書の預言「荒野で叫ぶ者の声」(洗礼者ヨハネ)の成就であると伝えています。そしてヨハネは、雑踏の中で叫ばれたお言葉が、イエス様が群衆に対して語られた最後の時であったと記しています。
そして今、イエス様は十字架を目の前にして「わたしを信じる者は…わたしを遣わされた方を見るのである。…だれも暗闇の中に留まることのないように、わたしは光として世に来た。」イエス様が居られるところは、たとえ雑踏の中であろうと福音が響きわたる場所に変えられました。暗闇を光に変えるために、イエス様は遣わされ留まり続けられました。
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。…世を救うために来たからである。」十字架を見上げていた百人隊長、一緒に十字架に架かった強盗、彼らはイエス様を信じました。私たちは、何時イエス様を信じる者に変えられるか分かりません。イエス様は、この世の全ての人の救いのために、今もなお、お言葉を語り続けておられます。
「わたしを拒み、…わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。」ヨハネによる福音書は「裁き」はもう既に始まっていると伝えます。「拒む」と訳された言葉は、本来は軽蔑する、無視すると言う意味です。イエス様に出会いながら、心に留めず、受け入れず、信じなかった者への裁きがあることが、ここでイエス様御自身によって宣言されます。
イエス様のお言葉を聞いた者は、信じるか信じないかを、絶えず問われます。
イエス様のお言葉は、神様の愛の現れです。神様の愛を選ぶか、拒否するかをはっきり示さなければなりません。「再臨」の時には、イエス様はお言葉をもって、「裁かれる」と、語られました。イエス様のお言葉は、神様からの命です。それは永遠の命を与えてくださる約束です。最後の「裁き」はその愛と命を拒絶した者が、神様から拒絶されることです。
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