キリストと共に生きる

ローマの信徒への手紙6章1~14節

澤田 武師

主題聖句 『わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。』  ローマの信徒への手紙6章8節
 小松川教会は、ホーリネス信仰を継承し、ホーリネス信仰をもって日本基督教団の中に留まった、ホーリネスの群(以下ホ群)の教会の一員です。ホ群の教会は、神様の救いを「四重の福音」、「新生」「聖化」「神癒」「再臨」として、その特色教理を受け継ぐ信仰の共同体として存在すると宣言しています。
 しかし、これはホ群教会が特別な事を信じているということではありません。福音には統一性と、福音のどこを強調して受け取るかによっての多様性があります。
 何人であっても、その罪を悔い改め、イエス・キリストを信じることによって救われます。すなわち罪を赦され、義とされ、新しく生まれ変わり、神の子とされます。ここに「新生」の恵みがあります。
 8節「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」パウロはこの主題を、洗礼を巡って論じています。洗礼を受けるのは「キリスト・イエスに結ばれるため」であり、私たちは、イエス様と結ばれている存在なのです。
 「死にあずかるために洗礼を受けた」イエス様は十字架の上で死なれました。イエス様は人の死を経験されました。共に結ばれているということは、私たちも共に死を経験することなのです。イエス様の十字架の死は、ただ一度、すべての罪の贖いのため、完全な救いのためなのです。それは行いによる義、律法の束縛からの解放であり、福音の時代へと変わった証詞でもあります。
 「わたしたちも新しい命に生きるためである」「生きるために死ぬ」まさに、洗礼はキリスト教の逆説的真理を表しています。わたしに起こる生きること死ぬことのすべては、イエス様に結びついています。ここに真の喜びがあります。
 信仰者が弱さと躓き、苦難と死の現実を生きていることが、あのキリストの苦難、死と復活、栄光に対応して、栄光の命に繋がっている、これは希望と確信であります。イエス様の十字架を担ったキレネ人シモンは、神様の道具とされて、福音を告げる者へと変えられました。「新生」の恵みは、個人個人の確かな体験として与えられます。
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