十字架からの眼差し

ヨハネによる福音書19章16~27節

澤田 武師

 十字架につけられたイエス様は、肉体的にも精神的にも耐え難い苦しみの中におられます。ヨハネは十字架の上のイエス様の思いが、印象的な、感動的な出来事として、周囲の人々に現わされたことを記しています。
 当時の十字架刑は、大人が立って手を伸ばせば、十字架に付けられた罪人(ざいにん)の足に触れることが出来るほど、近くにありました。既に男性の弟子たちは、逃げ去ってしまいましたが、イエス様と共に歩んできた複数の女性が、この時にもイエス様の十字架のもとにいたことをヨハネは記しています。この女性たちの中に、母マリアはいました。
 十字架のお苦しみの中で、イエス様の眼差しは、罪人(つみびと)に向けられていました。イエス様は刑執行の報酬をくじ引きで決めているローマ兵に「彼らは何をしているのか知らないのです」と、とりなしの祈りを奉げられます。共に十字架刑を執行された一人の強盗に「今日わたしと一緒に楽園いる」と、救いの宣言をされました。
 イエス様は御自分をお産みになった婦人のことをお忘れになりませんでした。十字架の上のイエス様の眼差しは、母マリアと、マリアの今後を託した愛する弟子に向けられています。そして母マリアに「御覧なさい」、「婦人よ、あなたの子です」と声をかけられます。愛する弟子には「見なさい。あなたの母です」と、呼びかけられます。その時からイエス様のお言葉は、彼らの現実となりました。
 イエス様の眼差しは、新しい家族を作り上げました。新しい関係を作り上げました。彼らには新たな使命が与えられました。後に信仰の兄姉の家族としての、教会が生まれます。
 あなたの周りを見回してみてください。そこには教会での母がいます。父がいます。息子がいます。娘がいます。家族があります。イースターには新しく、信仰の家族が与えられます。喜びをもって待ち望みましょう。
 イエス様の眼差しを知る者が、十字架の先にある、復活のイエス様を信じる者が、新たに加えられます。イエス様の眼差しは、どんな時も全ての人に向けられています。
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