風の中で始まる

使徒言行録2章1~13節

澤田直子師

ペンテコステとはギリシャ語で「50日目」という意味です。ユダヤ教では小麦の収穫の初穂を祝う「七週祭」また、モーセがシナイ山で十戒を授与された日とも言われます。盛大で賑やかなお祭りで、故郷を離れて異郷の地で暮らすユダヤ人がエルサレム神殿に大勢集まりました。
 この年の過越しの祭りから五旬祭まで、使徒たちはどんな気持ちで過ごしたでしょうか。イエス様が「ホザナ」の歓声に包まれてエルサレムに入城し、最後の晩餐、十字架、復活、昇天とまるでジェットコースターのような浮き沈みを味わったのではないかと思います。その中で、イエス様が約束された聖霊を待って、エルサレムに留まっていたのです。
 激しい風のような音、炎のような舌、想像しがたい光景の後で、使徒たちがそれぞれ違う言葉で福音を語る、という奇跡が起こります。同じような多言奇跡は、創世記のバベルの塔の時にも起こりました。この時には人々は一致を失って散らされましたが、ペンテコステの時には、まっすぐに心に届く言葉を聞いた人々が、その日のうちに3000人もイエス・キリストを信じたのです。起こった現象は同じでも結果は正反対でした。
 聖書の特徴の一つに、多様性と統一性が同時に存在する、という事があります。著者も時代も違う書物の集合体でありながら、その言わんとするところは、イエス・キリストの十字架と復活、わたしたちの罪に対する贖いと赦しです。様々な角度から同じことを伝えるのは、神様がわたしたち人間を十把一絡げにせず、一人一人に相対してくださるしるしです。
  「霊」をヘブライ語で「ルーアッハ」と言いますが、他に、「息」また「風」も同じ言葉で表します。創世記2:7『・・・その鼻に命の息を吹き入れられた』また、ヨハネ3:8『風は思いのままに吹く。・・・霊から生まれた者も皆その通りである。』天地創造の6日目から、わたしたちには神様の命の息が与えられ、その時からずっと、聖霊の風の中に世を歩んでいるのです。心の内に神様の息を感じ、日々の歩みの中で聖霊の風を受けて、喜びと感謝を持つことができますよう祈りましょう。
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