新たに生まれよ

ヨハネによる福音書3章1~15節

澤田直子師

 ユダヤ人の指導者的立場にあるニコデモは、夜ひっそりとイエス様を訪ねます。常々心にかかっていた問題に、この方なら答えてくださるのではないか、しかし、そんな自分の姿を人に見られたくない。そんな思いだったのでしょうか。人の心の中をよく知るイエス様は、ニコデモの挨拶を素通りしていきなり核心をついてきます。「神の国」に入る資格です。
 『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』 「新たに」は「上から」とも訳される言葉、「見る」は「知る」という意味を併せ持つ言葉が使われます。理解の遅いニコデモに対して、イエス様は 『水と霊とによって生まれなければ』 と言い直してくださいます。水は罪の洗い清めを、霊は神から与えられる新しい命を示します。イエス様はニコデモに、神の国を知るために必要なのは、律法遵守でも地位でも能力でもなく、ただ神の前に悔い改め、その憐みにより頼むのみ、と教えられます。
 ニコデモには理解できませんでした。さらに言葉を変えてイエス様は教えます。『風は思いのままに吹く』 この「風」はギリシャ語ではプネウマですが、他に二つの意味「霊」と「息」を持ちます。ニコデモは高い教養の持ち主ですから、含みのある言葉をかけたのです。しかし、この世的な努力でここまで生きてきたニコデモは「どうしてそんなことがありえましょうか」と答えます。
 11、12節はイエス様が、これではだめだ、と嘆いておられるのです。やはり十字架が必要だ、と。モーセが荒れ野で蛇を上げたという故事は、民数記21章4~9節に記されています。こんなに早い時期から、神様は、人間を救おうとしておられました。ニコデモは、この時にはもうひとつイエス様の言われることを理解できませんでした。しかしこの夜の後、おそらくあれこれと思いを巡らし聖書を調べたのでしょう。7章ではイエス様を捕らえようとする議員や祭司たちをいさめ、イエス様が十字架で死なれた時には大量の没薬をもって駆けつけ、葬りに力を尽くします。
 肉の命は誕生の瞬間から死に向かいますが、霊の命は終わりのない命、日々新しく生まれ、永遠に真理に向かう命です。
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