彼らは聞き従う
使徒言行録28章23~31節
使徒言行録は、天に帰られるイエス様が弟子たちに「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言い置かれたところから始まって、最後はパウロがローマで丸二年間も「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」と終わります。イエス様のお言葉は実現し始めたのです。
ローマでパウロを訪ねて来たユダヤ人は、それまでパウロを迫害してきたユダヤ人とは少し違って、礼儀正しく、イエス・キリストについて知りたい気持ちを持っていました。ですからパウロは、もと律法学者として聖書についての知識を最大限に生かして証します。パウロが最も理解してほしかったことは、ユダヤ人の待ち望むメシアはもう来ている、十字架で死に、三日目に復活したナザレのイエスがそれである、ということでした。
しかしそれは、ユダヤ人が持ち続けてきた理想のメシア像とは全く違います。彼らの理想とするメシアは、圧倒的な力でローマの支配を打ち破り、ユダヤ人の王国を立て上げるはずでした。彼らにとっては、もうメシアが来ているのならば、なぜ我々は未だにローマの支配下で苦しまなければならないのか、ということになるのです。
パウロがユダヤ人に対して引用したのはイザヤ書6章9~10節です。ユダヤ人は預言の通り、耳が鈍く目は暗く、聞いても理解しない、見ても悟らない者となり果てました。パウロにとっては、ユダヤ人はパウロの証を信じなかったというだけでなく、聖書そのものを否定したことになります。ここで、パウロは、はっきりと自分の使命は異邦人への伝道であると宣言します。それは、「彼らこそ、これに聞き従う」からです。聞き従うとは、「聞く」と「従う」の二つの言葉から成り立ちます。ローマにパウロがいる、と聞いて訪ねてくる人々は、パウロの言葉に聞きいり、従いました。それは彼らの喜びであると同時に、パウロをも大いに喜ばせたでしょう。喜びは福音伝道の原動力になったに違いありません。その喜びの延長線上に、今日のわたしたちがあります。御言葉に「聞き従う」ことから始めましょう。