ここに神がおられる
使徒言行録28章11~16節
主題聖句 「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」 28章15b節
ローマへの最後の航海はとても順調でした。マルタ島から乗った船は船乗りの守護神の像「ディオスクロイ」が掲げられる船であると、あえてルカは記しています。この船印から、異教の世界の中心へと、偶像礼拝の只中へとパウロが進んでいることを強調したのでないでしょうか。
プテオリ港から上陸、陸路を進む百人隊長に与えられた使命は、一刻も早く確実にパウロをローマに護送することですから、パウロに兄弟と共に過ごすことを許したのは異例中の異例です。
パウロが命の危機の中にあっても神に信頼して与えられた「使命」に従った姿に、百人隊長は変えられたのではないでしょうか。百人隊長は自分のできる最善をもって、パウロの希望に応答したように思えます。ここには彼の勇気があります。彼にこの行動を取らせた背景にも、聖霊の働きが見えます。
ローマの兄弟たちは、聖霊に促されて自分たちの精一杯の思いを表わすため、パウロを途中の町まで迎えに来てくれました。この出会いはパウロに大きな喜びを与え、再び勇気づけられました。
迎えに来た兄弟たちとパウロは一緒にローマの町に入場します。それは彼らにとって戦いの勝利を告げる凱旋のようであったことでしょう。パウロの宣教旅行は終わりましたが、神から与えられた勇気は、ここから始まる裁判、異教社会と対峙する備えの心にと変わりました。
この場面には温かさを感じます。神に託された者同士の交わりに、たとえそれが無力な者同士でも、人が作るのではない、神によって備えられた真の温かさ、心の交流が見えます。この歩みの真ん中にも神は確かに居られました。
ここから読み取れるのは、クリスチャンはどのような状況にあっても信仰がぶれてはいけない。こんな時代にも、こんなところにもクリスチャンは居るのだと証しする使命があるということです。ここに神が居られる、と証しするために、勝利者としてこの世に散らされ、生かされて行きます。私たちの交わりの中に神が居られます。