主の御旨のみが

使徒言行録25章1~12節

澤田直子師

 パウロがカイサリアに2年も留置されている間、エルサレムのユダヤ人たちの計画は全く変わりませんでした。何とかしてパウロをエルサレムに送ってもらい、その途上で暗殺しようとしたのです。サタンのやり方はしつこく、絶対に自分が正しい、正しい目的のためには少しくらい悪いことをしてもいいと思い込ませ、このやり方しかないと信じ込ませます。
 このようなサタンの業は、イエス様の十字架の時も、最初の殉教者ステファノの時も同じでした。しかしイエス様は死んで復活され、ステファノはイエス様の元に上っていきます。パウロは生きてローマに連行されます。あらゆる命、あらゆる死に神様のご計画があります。同じようなサタンの業で始まっても、最後には神のご計画に変えられていきます。その示され方、表され方は、その時々、当事者によって違います。神様の御業は、一人一人、完全なオリジナルですから、自分と神様にしかわからないのです。
 わたしたちは信仰者として神様に「忠実な良い僕よ」と喜んでいただきたいと心から思っています。でもそこにはいつもサタンの誘惑があって、一生どころか一日も、一時間でさえも難しいのです。ところがわたしたちの全てをご存じの神様は、どのような道の途中でも、祈りに応えて、道を正してくださいます。思いがけない出来事から、思いがけない人の助けから、理不尽な試練からさえ、正しい道に導いてくださるのです。ヨハネの黙示録3章8節 『わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしを知らないと言わなかった。』 神は人を分け隔てなさいませんから、パウロのような大伝道者でなくとも、必ず、祈る者を用いてくださいます。
箴言19章21節 『人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。』 すべてを主にお委ねし、信頼して平安のうちに歩みましょう。