何事あろうとも

使徒言行録21章1~16節

澤田直子師

 パウロと一行は船を乗り継いで着々とエルサレムに向けて進み、ティルスで教会を探して滞在します。これは、ステファノの殉教の後で大迫害が起こり、弟子たちが散らされた先で建てられた教会です。ここから皆が皆、パウロにエルサレムに行かないようにと懇願します。8節の「例の七人」というのは、使徒6章にあります、霊と知恵に満ちた評判の良い人を選んで執事職に任命した七人です。筆頭がステファノ、次の名前がフィリポです。フィリポの家で、きっとパウロはその事を思い出さずにはいられなかったでしょう。かつては敵同士で、命まで奪うような憎しみを持ち合った者が、今は同じ伝道者として同じ家にいて、同じ目的のために祈り合う。本当に美しい光景です。苦難の預言を聞いたルカたちまでもがパウロを止めさせようとしますが、彼の答えは『主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。』パウロの心には、死に瀕して「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったステファノの声が響いていたのではないでしょうか。
 パウロの生涯は、何もかも「主イエスの御名のため」です。使徒9:16には『わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』という神様の言葉はむしろ本望だったかもしれません。神のご計画を知るパウロには、人間の心配よりも優先させるべきことがあるのです。そういう場面でも、クリスチャンには最後の最強の祈りが与えられています。『主の御心が行われますように』。何事あろうとも、パウロの福音伝道は妨げられません。第二コリント4:8『わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。』
 敬老感謝礼拝にあって、信仰の先輩、人生の先輩である皆さんは、「良い時も悪い時も、いつも主が共にいてくださいました」と証言してください。行く手に何事があろうとも、今まで主を信じてきましたから、これからも主の導きを信じます、と宣言し、後に続く者を励ましてください。