苦難、忍耐、練達

使徒言行録17章10~15節

澤田直子師

 パウロはその生涯に3回の伝道旅行をしました。移動の手段が徒歩だった時代に何百キロという旅を3回もしたのですから、福音伝道の情熱には驚かされます。Ⅰコリント9:16 『福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです』 べレアのユダヤ人は、テサロニケとは違って素直なうえに熱心でした。彼らは一生懸命に会堂に備えられた旧約聖書を調べます。今とは違って、字が読める者は限られていますし、聖書は巻物です。簡単ではなかったはずです。べレアの人々が熱心に聖書を調べたのは、それが楽しかったから、目からウロコのような体験を幾つもしたからでしょう。聖書は、読めばすぐわかる、というような書物ではありませんが、自分に向けて書かれた言葉と受け取って、毎日少しずつ読むと、いつのまにか心の飢え渇きに効いていることに気づく、いわば漢方薬のような書物です。
 べレアの人々がイエス・キリストを信じるや、テサロニケのユダヤ人が会堂に押しかけて福音伝道を妨げます。彼らは「自分は絶対に正しい」と信じこんでいるので、パウロはまともに論争せず、海岸の方へ逃げてアテネまで行きました。パウロは『蛇のように賢く、鳩のように素直に』振舞います。アテネといえば文化の中心地、ユダヤ人はパウロを追い出したつもりですが、パウロは福音伝道を進めているのです。
 パウロは、苦難に出会った時、嵐の中に飛び込んで潰されるような生き方は選びませんでした。忍耐すべきところでは雄々しく耐え忍び、これまでと悟ると身をかわして、新しい地へ赴きます。その結果福音は広がっていきました。さらにパウロは、自分を迫害するローマやユダヤのためにも祈り続けます。苦難が忍耐を、忍耐が練達を生むのです。「練達」は新共同訳聖書では「練られた品性」 リビングバイブルでは「人格は筋金入りにされ」と訳されます。そこから生まれるのは希望です。『希望はわたしたちを欺くことがありません。』 ローマ5:5。聖書を調べて喜ぶべレアの信徒の姿はパウロを励まし、希望となったことでしょう。わたしたちも、苦難を恐れず、忍耐から逃げず、練達を身に着け、希望を待ち望みましょう。