わたしたちを助けてください
使徒言行録12章20~25節
ヘロデの元で囚われの身となっていたペトロは、教会の必死の祈りによって主が天使を遣わして奇跡的に脱出したことを先週共に学ばせて頂きました。本日はその続きです。ヘロデは自らの権威の失墜を避けることに精一杯で、番兵たちを処刑し騒動を収束に向かわせ、自分の権力を誇示したのです(19節)。
そのような時、ヘロデが敵意を抱いていた住民たちが王の侍従に取り入り、和解の儀式が盛大に行われました(20~21節)。彼が演説を始めると「神の声だ。人間の声ではない。」(22節)と、集まった人々が叫び続けたのです。ペトロの事で痛い思いをしたヘロデですから、天にも昇る優越感に浸ったことと想像できます。「するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」(23節)ヘロデの人生は自分の栄光を求め、地位・権力を守る事で無惨に終わりました。結局はそこから得るものは何もなく、自分の人生を自ら失うものとなったのです。
12章には「天の使い」が頻繁に登場しますが、ヘロデを撃ち倒したのも、又、ペトロを助けたのも同じ天使です。一目瞭然です。ペトロが絶体絶命の時に、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(12:5)と、「助けて」とひたすら祈る者には神は応えくださいます。一方、神の憐みを知らずにこの世を権力でものを言わせる者には容赦なく審かれる神でもあります。
「見よ、わたしは今日、あなたたちの目に祝福と呪いを置く・・・主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、主の戒めに聞き従わず・・・呪いを受ける。」(申命記11:26~27)と、神は仰せになるごとくです。
「神の言葉はますます栄え、広がって行った。」(24節)と、教会はこのように何度も荒波に呑まれながら危機を乗り越える度に成長軌道に乗って2000年以上神の恵みと御守りの内に歩み続けています。「この福音のために、わたしは苦しみを受け、ついに犯罪者のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(テモテ二2:9)と、後にパウロが語っているように、神の言葉が語られ、実践されていくとき、人間の策略や企て等はものともせずに神の御栄光を顕していくのです。力なく人の目には弱々しそうな私たちで良いのです。神に熱心に「助けてください」と祈り、神の言葉に真実に生きるものを神は憐れんでくださいます。