キリスト者と呼ばれるようになった時

使徒言行録11章19~30節

佐々木良子牧師

 いよいよ異邦人伝道の本格的な幕開けです。その拠点となるアンテオキィアという町に教会が誕生し多いに祝福され大きく成長していきました。この地で弟子たちが初めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました(26節)。
 教会が語ることは「主イエスについて福音を告げ知らせた。」(20節)と、この一点です。この地には様々な人種が住んでいましたが臆することなくイエス様こそ主であると、確信をもって福音を宣べ伝えたのです。それは復活され今も生きておられる主イエスに繋がっている証しとも言えます。神の御子の十字架と贖いによって、神から人への道が開かれています。その神の恵みに真実に応える時、人から神への道はつながるのです。
 この働きの中心は弟子たちではなく、一般の信徒でキプロス人とクレネ人でした。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った数は多かった。」(27節)「ああ、本当にイエスさまは私の救い主‼」という信仰によって、勇気をもって伝道していく所に主の力が及びます。伝道の原動力となったのは主の特別な働きかけで、伝道の実りを生み出すのは私たちの力ではなく主の御業です。信仰に固く立つ者の上に主は必ず働いてくださいます。
 アンテオキィア教会に信じて立ち帰る者が多く出たことはエルサレム教会に聞こえてきたので、バルナバはエルサレムから派遣されました。その目で神の溢れる恵みを目にして、更にタルソにまでサウロ=パウロを捜しに行き、共にこの教会の建て上げて行ったのです。後のパウロの伝道の拠点ともなった重要な教会となっていきました。このようにエルサレム教会からアンテオキィア教会が生まれました。教会が教会を生み出していったといってよいでしょう。やがてユダヤ全土に大飢饉が何回も襲ってきましたが、生まれて一年足らずのアンテオキィア教会が今度は遠方のエルサレム教会のために助ける教会へと成長していたのです(27~30節)。
 かつて日本は多くの宣教師たちが命がけで福音を届けてくださいました。主イエスが「受けるよりは与える方が幸い」(20:35)と、仰せになりました。今度は私たちの小松川教会から又、新たな教会を生みだし、大いなる祝福を頂きたいものです。神の恵みは人を神とその御言葉に出会わせ、一歩先の世界へ引き出してくださいます。