だから目を覚ましていなさい

マタイによる福音書24章32~44節

横山義孝牧師

 主イエス様がオリブ山から昇天された時、天の使いが弟子達に「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなた方がみたのと同じ有様でまたおいでになる」(使徒言行録1:11)とつげられました。イエスは最後の審判と永遠の神の国を完成するためにもう一度この世にこられるのです。これを主の再臨といいます。
A)主イエスがある時エルサレムの神殿を通られた時、神殿を指さしている弟子達に仰せられました「これらすべてものを見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(24:2)と。これは世の終わり、歴史の終末に主が再臨されて、人間が作った罪の世の文化、文明は全て崩壊し、まったく新しい神の国が出来る事を仰せられたのです。聖書はこれを約束しており、イエスはその時が近いことを仰せられたのです(24:6~14、32~35)。
B)すると弟子達はまた聞きました。「仰ってください。そのことはいつ起こるのですか・・世の終わる時にはどんな徴があるのですか」と。「その日、その時はだれも知らない。・・ただ父だけがご存知である」と。これは父なる神のみが再臨のゴーサインを決定する権限を御持ちであるというのです。更に仰せられました。「人の子(キリストご自身)がくるのはノアの時と同じである」と。ノアの時代(創世紀6~9章)「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで人々は食べたり飲んだり、めとったり、嫁いだりしていた。そして洪水が襲って来て、一人残らずさらうまで何も気がつかなかった」と。ノアが神様を信じ、厳かな思いで命じられる通り大きな箱舟を造ることに専心していたのですが、人々は神様の事など、少しも考えないで日々肉欲と享楽に耽っていたのです。「皆さん不信仰な悪い心を捨ててこの箱舟に乗って下さい」と伝道したに相違ないのです。しかし人々は嘲笑って、ノアの信仰の言葉を聞く耳を持たなかったのです。今日私達にとっての箱舟とは、この教会です。謙虚な心で罪を悔いイエス様を救い主と信じる人は、教会という箱舟に乗ることが出来、神の裁きの洪水から救われるのです。
C)「だから目を覚ましていなさい。」と主は厳かに教えておられるのです。目を覚ますとは信仰の目を覚まし、神第一の生活、聖書、祈り、礼拝生活、伝道と愛の業に励むことです。ペトロは「このようにすべてのものは、滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活をおくらなければなりません」(Ⅱペトロ3:11)と勧めています。共に聖なる歩みを全うし、来たり給う主に善かつ忠なるものとお褒めを頂きましょう。ハレルヤ。