今こそ、思い切って大胆に
使徒言行録4章23~31節
初代教会とその後の約250年は、過酷な迫害の連続でした。しかし、イエス・キリストに忠実なキリスト者たちが信仰に命を賭け教会を守り、信仰の灯を点し続けられた事により今のキリスト教が存在しています。
その勝利の秘訣の一つは祈りです。初代教会の歴史は「祈り」の言葉で埋められていると言っても過言ではありません。目の前の迫害者に目を向けるなら、その人の憎しみ敵意が見えてきたと思います。「あなたがたには苦難がある、しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)「…キリストの苦難とそれに続く栄光…」(Ⅰペトロ1:11)とありますように、諦めずに勝利者イエス・キリストを信じ、最後まで祈り続けた彼らでした。キリスト者は嵐や試練の中、どのような時も主イエスが共にいてくださることを信じているからこそ安心して大胆に祈ることができます。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(使徒4:29~30)捕われの身となったペトロとヨハネは、釈放される時に福音を語る事を固く禁じられました。にも拘らず、自分たちの安全を祈るのではなく、更に大胆に伝道することができるように祈り求めたのです。
その背後にある力は信仰の仲間、祈りの仲間でした。「さて、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った…主よ、あなたは天と地と海と、そしてそこにあるすべてのものを造られた方です。…」(24節)危機的状況の中で、主なる神に全幅の信頼を寄せる事と、「心を一つ」とする仲間がいた事が迫害をも恐れない大胆な祈りへと導いた事でしょう。
更に迫害をも恐れない恵みがありました。「…見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(4:20)神の希望に満たされた人々は苦しみの先にある大きな喜びを知っていますから、困難な状況であっても恵みを語らずにはいられないのです。人生には様々な問題や試練、不当な苦しみや悲しみがありますが、それにも勝った恵みを知る者は幸いです。どのような時にも大胆に恵みを語らずにはいられない信仰者でありたいです。