こころを合わせて
使徒言行録1章12~14節
主イエスの昇天を見届けた弟子達は、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(4節)との主イエスの命令に従ってオリーブ畑と呼ばれる山からエルサレムに戻ってきました(12節)。指導者がいなくなった彼らは不安だったと思いますが、今後の事を話し合ったりしたのではなく先ず、「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(14節)と、あります。
これまで弟子達は心合わせて祈るという事はありませんでした。ゲッセマネにおいて、主イエスが「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」(マルコ14:38)と仰せられても、祈らずに眠りこけていたような彼らが一つとなって祈ったのです。主イエスが「・・・約束を待ちなさい」とは、全てを彼らに託し、期待した呼びかけです。ご自分の業を進められるに当たり、御心を100%忠実に行う事のできる優等生を新たに選んで、その働きを委ねる事はなさいませんでした。主イエスを拒んだペトロや復活を疑ったトマス等、それぞれ弱さ、欠け、痛みを持った者達に期待されました。神の命令に背き、罪を犯しその弱さの中に閉じ込められてしまうような、不信仰な一人一人を敢えて選ばれ、ご自分の尊い御用をなそうとしておられます。
彼らにとってエルサレムは、主イエスを裏切った辛い所で、逃げ出したかった所であったかもしれません。同時に信仰の原点でもありました。そこで踏みとどまり、祈り求め続けている所に主イエスは応えてくださいます。彼らは心一つにして、熱心に祈り、神の御手を動かしました。祈りによって今までの自分達の生き方とは違うものを見出したのです。この後、聖霊が降り、新しい希望、新しい力を注がれて、教会誕生という出来事に関わっていきました。
主イエスを信じる者達が集まって心を合わせて祈ることこそ、聖霊のお働きを待つための最も大事な備えです。私達の教会が今、新たに聖霊のお働きを受けて新しく歩み出すために最も必要な事は、共に心を合わせて祈り続けることです。祈りを忘れた教会は歌を忘れたカナリアのように、無力で役に立たないと言われています。心合わせて熱心に祈っていくとき、教会は成長し、愛と活力に満ち溢れ、豊かな実りが与えられます。主イエスは弟子達に期待されたように、私達にも期待しておられます。