天に上げられたイエス様
使徒言行録1章6~11節
主イエスが天に昇られる日の出来事です。復活された主イエスは、肉体を持って弟子たちの前に40日に亘って現れましたが、いよいよ目には見えない存在になられました。これからは主イエスに代わりに、聖霊なる見えない神を信じる時代へとバトンタッチしていきます。私達は今、聖霊なる神の時代に生かされています。本来の信仰のあり方、見ないで信じる信仰がスタートするわけです。それに先立ち「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける・・・わたしの証人となる」(8節)と約束されました。
神の霊・聖霊は風に譬えられます。風は目には見えませんが、山をも崩す大きな力があります。人間は実に弱く危うい存在で限界があります。しかし聖霊が私達の内に宿るなら「神の霊があなたがたの内に宿っている限り・・・あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ローマ8:9~11)主イエスを死から甦らせた神の力が私達を強く生かし、死で終わりではない復活の命をまで保証してくださっています。聖霊は死人をも甦らせる程の大きな力です。
主イエスは公生涯のスタートの時、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。「・・・天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ってきた。・・・さて、イエスは聖霊に満ちて・・・」(ルカ3:21~22,4:1)このように聖霊に満たされた直後、悪魔の誘惑を受けられましたが、見事に勝利されました(4:1~12)。先ず主イエス御自身が聖霊の力を示されています。私達も同じ聖霊の力によって神と共に生き、支えられながら、慰められながら、生かされています。この力こそ私達の希望の源です。
「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たと同じ有様で、またおいでになる」(11節)主イエスが天に帰られる時、ご自身の再臨の約束をされました。その日まで、私達は単に人間として生きているという事ではなく、キリストの十字架によって罪赦された者としてキリストを証しするものとして存在しています。「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」(ヨハネ15:27)弟子達には他の人にない能力があるのだから証しができるという訳ではありませんでした。主イエスと一緒にいたから証しができたのです。今、私達は聖霊なる神が共にいてくださいますから、神を感謝して証しすることができるのです。