心を新たにして

ローマの信徒への手紙12章1~2節

三枝道也牧師(宮崎清水町教会牧師)

 「この世に倣わない」(2節)とは「心を新たにする」ということです。
 「心を新たにして自分を変えていただき」(2節) とありますが、私たちがどう変わっていったらよいのかは、聖書の出会いの中から始まって行くのではないでしょうか。「心を新たにする」とは、考え方を新しくすること、発想の転換をすることともいえますが、大事なことは、その新しさを知る知性が必要なことです。世はどうであれ、自分はこう理解しているというところを、聖書の中からくみとり、心から湧きあがって来るのが、本来の知性ではないかと知らされるのです。だから内側から、何かこうしようという思いが大事です。
 「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(2節)
 阿古屋貝の中に異物を移植すると、それを分泌物が覆い、やがて美しい真珠となります。私も若い時に聖書の言葉を植えつけられたと思っていますが、それは時に私にとってはあまり都合の良いことばかり教えてくれませんでした。聖書の言っている通り歩もうと思う気持ちと、その中から逃げたいという思いが葛藤します。聖書がこう言っているのだがそうじゃない、と妥協したくなることも多々あるわけです。けれども、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。」(1節)とパウロは勧めています。この体の中にイエス様の言葉を、イエス様自身を入れていただいたという思いがするようになってきます。クリスチャンの原点は、イエス・キリストが心の中に植えられることです。真珠貝ができていくように、無意識の中で変容していき、礼拝を重ねる中で、私たちは養われ、内面がキリスト者として装いを新たにされていきます。信仰生活の中で、何が神の御心でお喜びになることかを、心の中でだんだんしっかりと育てていただけるのです。
 そのために大切なことが、お祈りをすることです。お祈りをするうちに神様を愛するようになっていきます。神様に祈るということは、イエス様と一体化することで、楽しくなっていく素晴らしい経験をさせていただいています。祈りこそ、たとえその時間が短くても、神様とのとても素晴らしい時となっていきます。神様と一体化するという気持ちが養われていくときに、素晴らしい信仰生活が整えられていきます。