心の中にあるもの
マルコによる福音書7章14~23節
「・・・皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(14~16節)人は外から入ってくるものによって汚れると信じている人々に対して、あなたがたの心から出てくる悪い思い「罪」が人を汚すのだと、主イエスは仰せられます。問題は、あなたがたの内側にある心だと・・・。マタイ福音書においては「・・・口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す」と、私たちの心の中に入っているものが言葉となって現れ、心の中が問われています。
「舌を制御できる人は一人もいない」(ヤコブ3:8)と、多くの方が自分の発する言葉によって、大なり小なり苦い経験をした事があるのではないでしょうか。そもそも「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記8章21節)と、はるか旧約の時代から神は嘆いておられます。人間としてこの世に誕生した私たちは「罪」に縛られている故に、心の中にある悪い思いが常にあるのです。
しかし、神は人間を断罪したのではなく、この罪から救おうと神の憐れみによって、イエス・キリストを私たちに送ってくださいました。罪から救われ、きよめられるのは自の努力によってではなく、私たちの身代わりに十字架に架かってくださったイエス・キリストを信じる事のみです。主イエスの元に身を寄せているなら、心の中には自ずとキリストの良いものが与えられていきます。
私たちが日常発する言葉は、日々の生活においてどこを見て、どのような姿勢で生きているかによって現れ出ます。信仰は聞くことから始まる、というように、神の前に立ち、神に聞く事によって私たちの生活の全てが始まります。このように言葉と行動に現れてきますから、御言葉を行う人になりなさいと、主イエスは仰せられます。御言葉を行う事は、人間の義務であるというような事でも、戒めで縛るもありません。御言葉を聞いて従った時に初めて神の愛と神の言葉の真実さが分かってきます。そうして神の言葉は、私たちを励まし、勇気付ける希望の言葉、生かす言葉だという実体験を重ねていく内に私たちの心の中には、神の恵みの言葉を蓄えられていくのです。
私たちはキリストの言葉によって生かされているように、今度は私たち自身が、人を生かす神の言葉を発する者とさせて頂いているのです。常に神の場所から出た言葉、暗闇を照らす光となっている私たちであると信じたいです。