夜は更け、日は近づいた
ローマの信徒への手紙13章11~14節
「夜は更け、日が近づいた、だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身につけましょう。」(12節)今年、私たちに与えられた教会標語です。
当時1世紀半ば過ぎ、人々は様々な抑圧の中で生活の不安を抱えて暗い時代に生きていました。そこでパウロは「…あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています」(11節)と、ローマの信仰者に向かって、暗闇に向かって生きるような生き方ではなく、朝に向かって生きるような生き方をするように勧めています。
夜は更けていよいよ闇は暗くなっていきますが、夜明け前が最も暗いと言われるように、この暗闇は確実に「朝に近づいている時」です。キリスト者は「日が近づいている時」を信じていますから、今を絶望せず投げ出さない生き方に導かれていきます。
13節に記されています「酒宴と酩酊」は現実逃避の生き方を表し、「淫乱と好色」は自分の欲望を満たす生き方、「争いとねたみ」は、希望のない人の生き方です。このような罪の世界・暗闇は人間が作っています。この世の人はこれらに巻き込まれながら苦しんで尚、闇を彷徨う生き方をしているのが現実ではないでしょうか。しかし、神を信じる者は「今の時」が、朝に向かって、希望に向かって生きていく時、自分の生き方を見据えていく時だという事を知っています。今、自分が歩んでいる時が暗闇と思うなら、人は暗闇の歩み方しかできないものです。
「酔生夢死」という言葉がありますが、酔っぱらったように生き、夢のように死ぬ人生の事を言うそうです。私たちは決して意味のない、訳の分からないような人生を送って、虚しくこの命を終えるのではありません。キリストを信じ、キリストの復活の命に結ばれた者として、朝が来る事を待ち望みつつ、キリストの栄光を受けながら生きていくのが、本来の私たちの生き方です。
主イエスが私たちの罪の為に十字架にお架かりになり、復活された勝利が既に私たちにも与えられています。故に私たちは朝に向けて、身を伸ばしながら前に向けて歩める恵みを頂いております。主イエスに顔を上げるならば、たとえ今迄どのような生き方をしていようとも、神はその罪を問うお方ではありません。「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか」(13節)と問いかけられている私たちです。