あなたたちは神の子
ガラテヤの信徒への手紙3章26~29節
パウロは、ユダヤ主義者に惑わされたガラテヤのキリスト者に、律法の実行によらず、信仰によって義とされ救われる「真の福音」キリストの福音へ軌道修正するように本書簡を書き送った。パウロのこの独特の教理は体系的にロマ書に記され、のちに宗教改革者マルチン・ルターによって「神の義」が発見され、信仰義認と呼ばれる重要な教理となった。
(1)皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子である。(26節)
「キリストに結ばれて(エン・クリストー)」とは「キリスト・イエスに在りて(不動)」の意であり、キリストに漬け込まれて私たちはキリストの香りを放つ者となる。主イエスこそ唯一の「神の子」(2:20)だが、土塊に過ぎない私たちは皆、信仰という手段によって主に在る者とされ、恵みのうちに「神の子」とさせて頂いたのである。神の子としての自覚を持とう。
(2)洗礼を受けてキリストの中へ没入し、皆、キリストを着ている。(27節)
27節の「キリストに結ばれた(エイス・クリストン)」は「キリストの中へ埋没する(中心へ向かって動く) 」の意である。キリストの恵みの外にいた私たちは、洗礼を受けることによってキリストのど真ん中に埋没することが出来た。罪ある身体はキリストの真白き霊的衣に覆い尽くされ、罪なき者と見なして頂いたのである。洗礼の霊的重要性を覚え、主の十字架の御業に感謝しよう。
(3)何一つ差別なく、皆、キリスト・イエスにおいて一つである。(28節)
私たちは皆「主に在りて(エン・クリストー)」一つであり、天においても地上の教会においても、格差や差別は微塵もなく、神の子たちは主イエス・キリストにおいて一体である。
(4)もしキリストのものなら、アブラハムの子孫、約束による相続人である。(29節)
私たちは信仰によって義とされ、信仰によってアブラハムの子孫と見なされ、信仰によってアブラハムの子孫に約束された祝福に与ることが出来る。但しその条件は私たちがキリストのものであることである。果たして私たちは、信仰によってキリストにしっかり結ばれた神の子となっているか?洗礼を受けてキリストへ完全に埋没してキリストの霊の衣で罪を覆い尽しているか?教会はキリスト・イエスにおいて差別なく一つとなっているか?大丈夫、主が必ず導いて下さる。日々、信仰を吟味しつつ、神の子として与る恵みの豊かさを感謝し、福音を宣べ伝え、世に遣わされた神の子の役割を全うしよう。主に在りて