ますます力を頂いて
エフェソの信徒への手紙3章14~21節
「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に・・・」(20節)キリストの愛は人間の知識や経験をはるかに超える愛だといいますが、そのような愛を知る事は常識的には難しい事です。しかし、私達の内に働く神の御力、聖霊によって可能となり心を変えさせて頂き、その時から「・・・愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(16~17節)と、内なる人が強められて愛に根差す者へと成長させて頂けます。
神から離れている時「人に愛されたい」と自己顕示し人を押しのけながら、罪を犯していきます。しかし、キリストに愛されている事さえ知っていれば、自分が愛される価値がある事を他人に証明する必要はありません。大切な事は神に愛されている事を確信する事です。主イエスは洗礼を受けられた時「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を聞かれました。その御生涯は誘惑・攻撃・裏切りの苦難の連続でしたが、神の愛の確信の上に歩まれた人生でしたからこそ、最後まで愛に根ざしたお方でした。
人は神から愛されている、という確信を得る迄は、愛する者へとは変えられません。本来神に見捨てられても仕方ない自分にも関わらず、十字架の恵みに打ち砕かれて自分の罪を知り、プライドを捨てる時、初めて神の愛が分かります。自分が正しい人間であるかのように他人を裁く資格がない者である事を知り、傲慢さが砕かれ愛する者へと成長させて頂きます。
クリスチャンといえどもその歩みは途上です。「・・悪意、偽り、ねたみ、悪口をみな捨て去って・・混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。・・・主のもとに来なさい」(Ⅰペテロ2:1~3)「ご栄光と力ある業とによって私達は尊く素晴らしい約束を与えられています。・・この世の退廃を免れ、神の本性にあずからせて頂くようになるためです。」(Ⅱペトロ1:3~4)。神は私達が成長できずに罪の中を彷徨うのではなく、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」を知り、神の愛の豊かさに与れるように期待しておられます(18~19節)。私達の内に力を与えてくださる神に期待して、愛なる神の本性に与らせて頂きましょう。