み言葉に生きる
使徒言行録20章17~38節
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)と、人は肉体維持の為の食物だけではなく、主イエスの語られた福音、聖書に証しされた神の御業、説教で語られる神の御言葉によって、命と共に霊性が養われます。更に御言葉は救いの恵みを完成させる力となり(32節)、信仰・希望・愛に生きる事ができるようにして頂けます。神は御言葉が生活の隅々に力が及ぶように、内側にキリストが生きる事を求めておられますから、祈りをもって熱心にお聞きしたいと思います。
パウロ自身が厳しい状況の中で、エフェソ教会を覚え役員、教会を支える信徒達に真の教会とは何を土台にし、大切にしたら良いかを語っています。
1. 教会に連なる信徒全体の事に気を配り尽くす事。(28節)
教会はクリスチャンの存在によって建てられたものではなく、教会の主であるキリストの犠牲の貴い血潮によって既に建てられていたものです。キリストに招かれて、罪赦され信仰告白し洗礼を受け、週毎の礼拝から礼拝をお献げしながら、天の御国へと向かう地上を旅する神の民の群れです。このようにキリストの血潮によって救われた神の民の背後に キリストを見るからこそ、この人々に奉仕=尽くす事が大切です。
2. 澄んだ知性・豊かな感性・深い霊性・強い意志をもって目を覚ましている事。(29~30節)
「目を覚まして」とはドイツ語訳では「酔っぱらうな」と記されています。教会の歴史は神の言葉を用いて巧妙に誘惑するサタン(悪)の力を受けてきました。サタンの言葉に酔ってしまうと本当のものが見えなくなります。「霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう」(Ⅰコリント14:15)
3. 愛は受けるより与える。(35節)
「受けるよりは与える方が幸いである」主イエスの十字架と復活、救いの出来事に象徴されているように、本当の愛は受けるより与える方が素晴らしいのです。教会に招かれた神の民として、神の御言葉に生かされ、愛を益々豊かに与え、ご栄光を主に帰するよう祈り続けて参りましょう。