偉大な力によって
エフェソの信徒への手紙6章10~20節
信仰者は穏やかな歩みができると思いますが、神の前に立つ者として天国に帰る迄、この世の誘惑や悪しき事との闘いの連続と言っても良いと思います。礼拝毎に「・・・悪より救い出したまえ」と主の祈りをお献げします。悪しき事から救い出して下さる神の力を信じて祈ります。又、パウロは「・・主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」(10節)と勧めています。今年の教会標語です。主イエスを復活させられた偉大な神の力と、全ての罪と悪から救ってくださる神の愛を信じ祈りつつ、共に霊的成長を目指していきたいと願っています。
悪意を持って迫ってくるのは人のように思いますが、実は背後にある悪の諸霊の策略です。自力で闘うなら泥沼の渦に巻き込まれる故に神の武具を身に着け祈り続け、神の力を頂きなさいなさいと警告しています(12~17節)。主イエスは十字架にお架かりになる前に「この杯(十字架)をわたしから取り除いてください」と祈られましたが取り去られませんでした。しかし、壮絶な痛み苦しみの十字架を受け入れる力を与えられ、復活の勝利を得ました。その力は敵に自己を与える力、鞭打つ者に打たせる力です。その勝利の神の力を私達に与える為に主イエスは十字架に架ってくださいました。ですから私達はその神の偉大な力を既に与えられているから、信じて委ねられるのです。
信仰生活は「握りしめたこぶしによってではなく、しがみつく手によって得る勝利」であると言います。自分の力こぶしで悪と闘うのではなく、握りしめた手を広げてその手でキリストにしがみつき「助けてください」と祈る事を主イエスは喜んで待っておられます。主イエスにおすがりした時、自らの力では得る事のできない神の力を感謝と驚きをもって悪しき闘いも委ねていけます。この世の闘いの只中に遣わされている私達ですが、繰り返し繰り返し、神の偉大な力が我が内にある事を喜びとしながら新しい1年間、共に支えられて参りましょう。