12月12日礼拝説教概要
「先駆者」 ゼファニヤ書3章14~18節
クリスマスを迎えるに当たり、主イエス・キリストの先駆者、バプテスマのヨハネの存在の重要性と彼の言葉の真意を学ぼう。ゼファニア書は3章からなり「全ての預言書の約言」と呼ばれ、冒頭に「主の言葉」巻末に「・・・と主は言われた」と記す全文が神の言葉である。その中心は「神が人間の歴史に介入する『主の日』」の概念であり、主の日の裁きと祝福の両面を均等に記す。
「先駆者」とは、メシヤ登場以前に、世の人々にメシヤ受容を準備する者である。その存在はイザヤ40:3-5、マラキ3:1、マラキ3:23-24に預言された。先駆者ヨハネの「悔い改めよ。神の国は近付いた」とは「神に立ち帰れ。神の支配は今や地上に及ぼうとしている」の意である。彼の叫び声を聞いた者は皆、各々預言書の「主の日」を思い出して悔い改めて洗礼を受け、「見よ、神の小羊」との声に救い主イエス・キリストを拝した。
ゼファニア書3:14-18は祝福の讃歌であり、特に3:17は興味深い。前半の「お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる」は15節を繰り返す確信であり、強く優しい救い主の姿である。「主はお前のゆえに喜び楽しみ」はあなたのただ中におられる主があなたの故に喜び楽しんで下さるとは、実に感謝である。「愛によってお前を新たにし」は別訳で「愛のあまりに黙し」。「喜び楽しみ」と「喜びの歌をもって楽しまれる」の間の不思議な沈黙(十字架刑の裁判における主イエスの沈黙)、愛するあまりに声も出ない深き愛である。「お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」は別訳で「あなたのことで歓声を上げ小躍りされる」。全てはあなたのただ中に、ど真ん中に居られる主であって、決してあなたの心の片隅に僅かに掃き清められた空間の居候ではない。
今朝、あなたと神との距離は一体どのくらいか。1メートルか、それ以上に遠く感じるか。もしもそうならば、今すぐ悔い改めて神に立ち帰り、「主よ、私の傍に居て下さい。私から離れないで下さい」「どうぞ主よ、私の心のど真ん中に来て下さい。」と祈り求めよう。天のお父様が御子イエス・キリストの前に、悔い改めを求める先駆者ヨハネを私たちに遣わされたこと覚え、主の降誕に相応しく心を備えよう。